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中世から近世の学園というものは、現代の学園とは似ても似つかないものであった。
そもそもヨーロッパでは、子供という概念が現代日本の価値観とは大きく異なっていた。
まずは当時の子供像から振り返り、学園の全体像を解説していこう。
中世において幼児の死亡率は非常に高く、まずは乳幼児から成長する事が一つのハードルとなっていた。これを乗り越えた子供は殆ど大人と同じような扱いを受ける事となった。
今のように大人と子どもを大きく区別する垣根はなく、子どもは大人と同じように仕事をし、大人と同じようにアルコールを飲み、大人と同じように性的な談義をした。
当時の女性は14歳から出産可能と考えられ、平均して4~6人の子供を産んだ。そして成人できる子供はおよそ半分だけだった。
その結果、人口ピラミッドは歪な形となった。多産他死の結果、大人よりも子供の方が数が多かったのである。彼らは子供としてのモラトリアムを与えられる事はなく、労働力の中心とも呼ぶべき存在だったのである。
よって、庶民は学校へ通う事はなかったのだ。
グラマースクールと呼ばれた学校では、今のような学問を行う場ではなく、ラテン語を教える事が目的であった。
ラテン語は教会で用いられる言語であり、修道院や聖堂に付属する形で発展した。
11世紀~12世紀には各地で大学も創設された。オックスフォード大学は1167年、ケンブリッジ大学は1209年に創設されている。
1300年代にはグラマースクールが教会から独立する動きが見られ、ウィンチェスター・カレッジは世界初の全寮制の学校となった。
また当然のように11世紀には法学校も存在した。
宗教的な継承、法制度の維持は時代に関わらず欠かせないもので、純粋な学問とは異なるが古くから運用された記録が残っている。
地動説が再提唱され、万有引力の法則が登場し、ニュートン力学によってあらゆる現象が科学的に説明されるようになった。
こうした学問の発展は全てルネサンス以降であり、中世ヨーロッパは文化的に停滞した暗黒時代であった。
中世の学校は教会の為の文化継承装置ともいうべき存在で、教会から独立していったルネサンス以降は研究機関としての側面を持っている。
一般的に想像されるファンタジー世界の学園はルネサンス以降のものである。
ダークファンタジーを描く場合は中世的な教会とのしがらみに焦点を当てるとリアリティが増すだろう。
魔法の教育レベルが国家の軍事力に直結したり、危険なモンスターの出現により地域そのものが自衛のために公的な教育機関を欲している場合もあるだろう。
中世から近世の学園はあくまでデティールの参考程度に留め、史実にこだわる必要はあまりないと思われる。
しかし、当時の文化レベルにおいて労働力にならない生徒を抱える事と、学校という巨大な施設の維持は非常に難しいものである事を理解しておかなければならない。与えられた権利の代わりに如何なる義務が課されるのか、そのバランスを描写する事によってリアリティが得られるではないだろうか。
そもそもヨーロッパでは、子供という概念が現代日本の価値観とは大きく異なっていた。
まずは当時の子供像から振り返り、学園の全体像を解説していこう。
小さな大人
中世ヨーロッパの様々な記録に共通しているのは、子供に対する意識が今とは全く異なる点である。中世において幼児の死亡率は非常に高く、まずは乳幼児から成長する事が一つのハードルとなっていた。これを乗り越えた子供は殆ど大人と同じような扱いを受ける事となった。
今のように大人と子どもを大きく区別する垣根はなく、子どもは大人と同じように仕事をし、大人と同じようにアルコールを飲み、大人と同じように性的な談義をした。
当時の女性は14歳から出産可能と考えられ、平均して4~6人の子供を産んだ。そして成人できる子供はおよそ半分だけだった。
その結果、人口ピラミッドは歪な形となった。多産他死の結果、大人よりも子供の方が数が多かったのである。彼らは子供としてのモラトリアムを与えられる事はなく、労働力の中心とも呼ぶべき存在だったのである。
よって、庶民は学校へ通う事はなかったのだ。
中世の学校
庶民は学校に通う事はなかったが、学校自体は6世紀から運用されていた。グラマースクールと呼ばれた学校では、今のような学問を行う場ではなく、ラテン語を教える事が目的であった。
ラテン語は教会で用いられる言語であり、修道院や聖堂に付属する形で発展した。
11世紀~12世紀には各地で大学も創設された。オックスフォード大学は1167年、ケンブリッジ大学は1209年に創設されている。
1300年代にはグラマースクールが教会から独立する動きが見られ、ウィンチェスター・カレッジは世界初の全寮制の学校となった。
また当然のように11世紀には法学校も存在した。
宗教的な継承、法制度の維持は時代に関わらず欠かせないもので、純粋な学問とは異なるが古くから運用された記録が残っている。
学問の発展
望遠鏡が発明されたのは17世紀で、様々な観測データが得られるようになった。地動説が再提唱され、万有引力の法則が登場し、ニュートン力学によってあらゆる現象が科学的に説明されるようになった。
こうした学問の発展は全てルネサンス以降であり、中世ヨーロッパは文化的に停滞した暗黒時代であった。
中世の学校は教会の為の文化継承装置ともいうべき存在で、教会から独立していったルネサンス以降は研究機関としての側面を持っている。
一般的に想像されるファンタジー世界の学園はルネサンス以降のものである。
ダークファンタジーを描く場合は中世的な教会とのしがらみに焦点を当てるとリアリティが増すだろう。
ファンタジーの学園
創作世界は往々にして魔法があり、農業レベルや文化レベルが史実の中世よりも遥かに高い傾向がある。魔法の教育レベルが国家の軍事力に直結したり、危険なモンスターの出現により地域そのものが自衛のために公的な教育機関を欲している場合もあるだろう。
中世から近世の学園はあくまでデティールの参考程度に留め、史実にこだわる必要はあまりないと思われる。
しかし、当時の文化レベルにおいて労働力にならない生徒を抱える事と、学校という巨大な施設の維持は非常に難しいものである事を理解しておかなければならない。与えられた権利の代わりに如何なる義務が課されるのか、そのバランスを描写する事によってリアリティが得られるではないだろうか。
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